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歪められた教義・慣習を神はお喜びになられない・・・

 現在の正統派キリスト教会が行っている信仰行事は、その多くがローマによって改変されたり、付け加えられたりしたものです。その中でも最も是正すべきものに挙げられるのが12月25日のクリスマスです。

 主イエシュアが誕生した季節は、ルカ福音書に「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(ルカ2:8)とあるように、決して12月25日などと言う寒い時期ではありません。当時、羊の放牧をするのは大体4月〜9月くらいの間だったようです。寒い季節は当然羊を小屋から出さなかったようですし・・・。

 では何故この12月25日がクリスマスとされたのか?多分皆さんも折に触れ見聞きした事があると思うのですが、元々この日は当時ローマで盛んであったミトラ教の祭日でした。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は、臨終の床で司教エウセビウス(アリウス派)からキリスト教の洗礼を受けましたが、それまではミトラ教の大神官を務める程の熱心なミトラ教信者でした。彼は自分の政治的地盤を固める為、キリスト教を利用したと言われています。彼はキリスト教とミトラ教を融合し、ミトラ神の誕生祭である12月25日をキリストの降誕祭としてクリスマスを祝いました。これ以外にも、数々の慣習がローマによって歪められ、現在の正統派キリスト教会が形作られて来たのです。

 キリスト教がローマ帝国で公認されてから以降、その教義の一本化を目指し、本格的な異端審問と迫害が始まります。当時、アリウス派(唯一神教)とアタナシウス派(三位一体)が対立し、混迷をきたしていたキリスト教界を是正する為、コンスタンティヌス帝はニカイア公会議(325年)を開き、教義の統一を図ります。当時既にローマ皇帝の政治的基盤となっていたキリスト教界を統一し、その安定を図る事は、コンスタンティヌス帝の政治的急務でした。この会議の結果、キリスト教本来の教えであるアリウス派は異端とされてしまいます。このように、キリスト教がローマ皇帝によって政治的に利用されるようになってから、本来のキリスト教は徐々に姿を消し、新たにローマによって作られたローマ・カトリックが帝国内を席巻するようになるのです。

 私たちは、キリスト教がローマ帝国に公認されてから以降、新たに付け加えられたり改変された慣習を排除致します。私たちは、初代エルサレム教会由来の信仰を守り、アリウスの唱えた唯一神教を信奉します。私たちは、聖書の教えに矛盾する、現在の正統派教会の全ての教義を排除します。それは、たとえパウロが唱えたものであっても例外ではありません。