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発起人のプロフィール

 幼少の頃、日本キリスト教団屋島教会幼稚園に通い、幼くしてキリスト教の教えに触れ、幼心に「死」に対する一抹の恐怖を覚える。(左写真は当時の先生方)卒園後もピアノを習いに行ったり、バザーに出かけたりと、教会に出入りをする機会が多かった。

 小学校5年になってから、母方の実家のある屋島から父方の実家の南側に家を建て引っ越したので、教会とは離れる結果となった。その後母が創価学会に入信した関係で、私も母に連れられ学会員に。毎週、少年部の勉強会に出かけて行き、仏法の勉強に勤しんだ。あの頃は池田大作先生を限りなく尊敬していたものだった。

 高校入学後、少し体調を崩し精神が不安定になっていた頃、「エホバの証人」の宣教師の訪問を受け、しばらくその教えを聞く。又、モルモン教と呼ばれている「末日聖徒イエス・キリスト教会」の外国人宣教師の訪問も受け、こちらもしばらくその教えを聞く。又、ラジオ番組「心のともしび」を聴き、その番組の先生とも文通をする。そして、キリスト教への回帰の念が強くなった私は、遂に創価学会を辞める決心を固めることとなった。私は学会を辞める為に、何と御本尊を2回も焼き捨てたのだった。退会の際、数人の幹部が家にやって来て、「絶対罰が当たりますよ。」と言われた事が今も脳裏に焼き付いている。母共々退会を果たしたものの、母は内心嫌々だったようだ。

父の長兄が天理教の布教所長をしていた為、その後しばらくは親戚一同と共に天理教にお参りに行く事となった。(学会員だった頃は実家の信仰とは反目していた。)実は、私が幼児の頃は父の実家に間借りしており、私も家族で天理教の教会にお参りして手を合わせていたようだ。高3の時、天理市に一日お地場帰りも果たしており、何故かキリスト教とは関係ない方向に進んでいる自分が内心もどかしかったのを覚えている。

 大学入学後は郷里を離れた事もあり、実家の宗教の束縛からも解放された。そしてその頃、丹波哲郎先生の「大霊界」の教えに出会い非常に感銘を受けた私は、霊魂の存在や輪廻転生などについて勉学を進める事となった。大学卒業後、長年心臓病を患っていた父がとうとう亡くなり、その臨終の際、自身の前世について覚醒する。死ぬ間際の父の頭を撫でながら、「私はあなたのお母さんよ。あなたの事が心配で、あなたの子供として生まれ変わって来ていたのよ。」と父に語りかける声が頭の中に響いた。前世では、私が母親で父がその子供であったようだ。

 その後、仕事の関係で地元に戻って来た私は、久し振りに母と天理教の分教会にお参りに行ったのだが、祭壇に向かい手を合わすや否や「よう帰って来たな〜」と言う声が私の頭の中に響き渡った。今思うと、あの声は亡くなった叔父の声ではないかと思われて仕方がない。天理教の布教所長をしていた叔父が、おそらく私のお参りを喜んで私に話しかけたのだと思う。

 そして平成23年6月にとうとう母も糖尿病の為、入院先の病院で亡くなり、母の霊を慰める為、再び屋島教会(右写真)へ足を運ぶ。しかし、数回日曜礼拝に行った時点で何か大きな違和感を覚え、その後、半年間カトリック桜町教会の日曜ミサに通い、キリスト教について勉学を深めた。

 そして、一旦再び日本キリスト教団屋島教会に戻ったものの、礼拝の中で唱える日本キリスト教団使徒信条の「三一の神を信じます」の文言に耐え切れず、教会を離れる事に。今は、主イエシュアご自身が語った教えと、アリウスの説いた唯一神教とを心に深く信じ、毎日神に祈りを捧げる日々を送っている。

 今の正統派教会が唱える「三位一体」の教えは、主イエシュアご自身が語られた教えからは全くかけ離れており、この「三位一体」の教えこそが異端であると私は確信しています。第1ニカイア公会議以降の正統派教会の教えは、ローマ帝国の権力と結びついた正にサタンの教えであり、私たちはそれ以前の真の神の教えに立ち返らなくてはなりません。正しく神を礼拝し、神に義人と認められるよう、真心をもって神を愛しましょう。

2013/01/20記す